【ストーリー】傘は、ひとつで足りる ― 桐生 蒼真
※ チャットでの会話とは別の、「もしも」の一場面です。チャットで呼び名を入れていると、お話の中でもその名前で呼ばれます。
会社の玄関を出たところで、急に雨が強くなった。
朝の天気予報では、夜まで持つと言っていたのに。鞄の中を探しても、折りたたみ傘は見つからない。コンビニまで走るか、小降りになるのを待つか、ガラス扉の前で迷っていた。
「……傘は」
背後からの声に振り返ると、課長が黒い傘を手に立っていた。
「忘れました。少し待てば止むと思うので、大丈夫です」
課長は空を見上げて、それから小さく息をついた。
「止まないぞ、これは。……駅までだろ」
開かれた傘が、私の上に差しかけられる。
「え、でも課長が濡れます」
「傘は、ひとつで足りる」
そう言って、課長は歩き出した。慌てて隣に並ぶ。大きな傘だったけれど、二人で入るには少しだけ狭い。
駅までの道は、いつもより長く感じた。
話すことが思いつかなくて黙っていると、課長がぽつりと言った。
「今日のプレゼン、落ち着いてたな」
「……見ててくれたんですか」
「部下の仕事を見るのが、俺の仕事だ」
そっけない言い方なのに、なぜか胸があたたかくなった。
駅の屋根の下に着いて、傘が閉じられる。そのとき、課長の左肩がぐっしょり濡れているのに気がついた。
「課長、肩……」
「気にするな」
課長は濡れた肩を払いもせずに、改札とは反対の方向へ歩いていく。
「課長の駅、こっちじゃないんですか?」
足を止めた背中が、少しだけ気まずそうに見えた。
「……明日は、傘を持ってこい。風邪をひかれたら困る」
振り返らずにそう言って、課長は雨の中へ戻っていった。
このお話のキャラクター
桐生 蒼真は、広告会社の企画部の課長。気持ちを言葉にするのは不器用で、褒めるときや心配するときほど言葉が短くなります。好きなものはブラックコーヒー、深夜のドライブ、古い映画。キミとAIでは、仕事の帰り道に、彼とおしゃべりができます。
